小説 novel

短編小説2

戦争部の休日 ~戦力の平時利用2~

「こわく・・・・・・ないから・・・・・・」
 長身の戦女神が、玉璽から零れたような黒髪を艶めかせて、腕の中の女に噛んで含める。
「あいしてるわ。生まれてきて、よかった」
 金髪の愛玩人形は、僅かに色味が異なる薄水色の瞳を潤ませて、そっとささやき瞼を閉じる。長い睫が羽根を休めると、一筋涙の欠片が落ちる。
 男装の戦争部部長はしなやかな指を愛玩人形の背に回すと、その口唇に視線を落とす。
 二人の周囲ににわかに光彩が満ちる。祝福の時鐘が打ち鳴らされる。
 わたしは・・・・・・、
 わたしは、なすすべもなく、二人の睦言を見守った。

 幼女は嘆いていた。
 かぶりをふって、嘆息していた。
 不意の頭痛をこらえるように、
 重い生理痛に耐えるように。
「景気が悪いな、佐藤」
「だまらっしゃい。投資家にそのセリフは禁物です」
「そうは言ってもだな、よそ様の部活に来て浮かない顔でいつかれたら、どんな聖人君子だって文句の一つも言いたくなるぞ」
「誰が聖人君子ですの。というか、わたくしが浮かないのは、まるっとまるごとあなたたちの責任でしょうに!」
「投資の失敗まで責任転嫁するようになっちゃおしまいだよぅ」
「誰も失敗してません! わたくしの資産運用は順調に成果を上げていますわ」
 佐藤さんの胸が反り返る。つんと上向いたお椀型のシルエットがあらわになる。
「では、何が不服なんだ」
「不服も何も。この前のアレはなんですの。せっかくのマラソン大会を台無しにして。学内だけでなく沿線住民にまで赤っ恥をさらしてしまいましたわ」
「厭戦住民? 気にするな。住民というのは、どこもかしこも厭戦気分だ。しかし、枯れ葉剤の一発もくれてやれば・・・・・・」
「しゃらーーーーーーーーーーーっっぷ!! くれてやっちゃダメ!! あぁ、ほんとに使えない人たちですわねえ」
「あたしたちは佐藤さんのゆうとおりに、選手を鼓舞したよぅ」
「途中までものすごいタイムが出てたじゃないか」
「でも、ゴールした人はいなかったじゃないですか! しかも、男子生徒が発情して制御不能に!!」
「速やかに事態を収拾したぞ。コンプライアンスのいい戦争部として、永きに渡って記憶されることだろう」
「末代まで記録されますわ。平時協力で薬物を使用し、その鎮圧に幹部が官給品の武器を使って乗り出した戦争部として。すでに東京戦区に冠絶する知名度ですの」
「そうか」
 冷酷美人が赤くなった。まんざらでもないらしい。
「だから反応が間違ってますって! 校内記録をもっている島風さんは色んな意味で再起不能! チア部キャプテンの一月宮さんはPTSDでいまも臥せってらっしゃるんですのよ!!」
「虚弱だな」
「なんでもかんでもPTSDで診断書書く医者が増えてるから、慰謝料の支払いには気をつけた方がいいよぅ」
「あなたたちだって、その場では同情してたくせに」
「過去は振り返るものじゃなく、美化するものなのよぅ」
「それを大本営発表というのですの!!」
「なんならどっちも戦争部で面倒見てやるぞ。明日にでも連れてこい」
「リハビリでもしてくれるんですか」
「最前線に立たせるのが最高のカンフル剤だ」
「ゆった! 今、カンフル剤ってゆった!! 根治させる気がないじゃないですの!」
「ま、まぁまぁ・・・・・・」
 聞いていたわたしは、佐藤さんのポニーテールが揺れるのを見て、そろそろ頃合いと合いの手をいれる。
「お役に立てなくてすみません、何か別の形でご協力できればと思うんですけれど・・・・・・」
「平時活動だったか」
「お茶会でも開いて優雅に過ごしていれば、戦争部への入部希望者が増えるんじゃない?」
「むしろお茶漬けをお出しして、帰っていただきたいくらいですの」
「帰るのは賛成だよぅ」
「その前に一仕事していっていただきます」
「えっ、それって平時活動要請がまた来たってことですか?」
「そうですわ」
 おどろいた・・・・・・。先週のアレを見ていて、なお依頼してくる部があるんだ。・・・・・・マゾ? それとも、芙美ちゃんの中世拷問具研究部?
「演劇部から出演要請が来ていますの」
「えっ、あたしたちが劇に出るのぅ?」
「演劇部の部長の夕張さんのご指名ですわ」
「えええっ☆ 前張り? って、それって生板ショーとか、白黒ショーをやるってこと!?? いや、ちょっ、それは・・・・・・だって前張りってかぶれるんだよぅ!!」
 佐藤さんは夏服のポケットからおもむろに札束を取り出すと、変態のやわらかそうな頬を張り飛ばした。
「学校でそんなことするはずがございませんの!!」
 気持ちは分かるけど、佐藤さん、台詞と行動の順番がたぶん逆だよ。逆のことが多いよ。
「迂遠だな。それならいったい私たちに何をしろというのだ」
 先輩はまるで興味なさそうに、ドッグタグの束をくるくると回す。
「すぐにでも説明しようとしているのに、あなたがたが寄って集って邪魔しているのでしょうに!! 演劇部は、あなたがたにメインキャストで出演して欲しいのだそうですわ」
「えええっ! メインキャストですかっ!! プロパーの演劇部員を差し置いて???」
「そうですの」
「演目は何だ?」
「ベルサイユのばらですわ」
「!!!っ」
「なんだ、インパール始末記とか、トラトラトラじゃないのか」
「え~~~~~~っ。アナタハンの女王事件がいいーっ」
「フランス革命には興味がないしな。バスティーユの襲撃など、戦術の入り込む余地がない」
「誰と共演するか知らないけど、ウチって進学校だから衣食住にも欠乏した卑劣なおとこが少ないんだよねぇ」
「フランス革命は興味があるでしょうに。だって・・・・・・」
 肩をすくめる黒髪と金髪に、ポニーテールが言いかけたところで、
「いったいお前らは何を言っているのだ。」
「えっ?」
「唯ちゃん?」
「ベルばらだぞベルばら!! オスカルが受けでアンドレも受けでアントワネットなんか串刺し受けのギロチン受けの総受け地獄だ!! 真珠湾だの女王蜂だのどうでもいいのだ!!!!」
「お、落ち着いてくれ。唯」
「なんかこっくりさんが憑依したみたいになってるよぅ。こわいよぅこわいよぅ」
 畏れを知らぬ戦女神が瘧(おこり)のように身体を揺らし、
 神をも恐れぬ罰当たりな熾天使は耳を塞いで泣き出した。
 栗毛の会計係は瞳孔を踊り子のご開帳みたいにひろげて、ゆっくりと佐藤の方を向いた。
「ひいいいいいいいっ」
 佐藤の全身が総毛立つ。
 冷たい汗がとめどなく流れる。
「佐藤さん・・・・・・」
 会計係は円滑なコミュニケーションをはかるために、笑みの形の表情を作ろうと思った。しかし、それはうまくゆかず、どちらかと言えば般若が二、三回交通事故に遭って移送先の病院で医療事故にも遭遇したようなふうになった。
「佐藤さん、そのお話受けてください。わたし、このうつけ者たちを指導して、かならずいい舞台にしてみせます。すぐにでも練習を始めさせます」
「えっ。え、ええ・・・・・・。それは大変幸甚ですの。お、お礼を申し上げますわ。きっと・・・・・・」
 そこで時雨と舞風を見遣る。
「きっとあなたのご友人がたも、演劇部の方たちも喜ばれると思いますわ」
 時雨と舞風が、ペンギンショーの未熟なペンギンのように、衝撃波を伴うほどの速度で首を横に振ったが、それに取り合う佐藤ではなかった。佐藤は目の前に居る栗毛のうつけ者から即座に距離を取ると、安全圏から時雨と舞風を生け贄に捧げた。
「わ、私は人前で役を演じるなんてできないぞ。めっそうもない!」
「・・・・・・」
 開ききった瞳孔に深淵の暗黒物質を溶け込ませた会計係は、その底の知れない瞳で戦争狂を見据える。
「れ、黎ちゃん黎ちゃん。ここは、う、う、う、受けておいた方がいいと思うよ! うん! なんだかあたしも演劇やりたくなってきた!」
「なっ、何言ってるんだ芙美! 私は・・・・・・」
「受けろ受けろ受けろ受けろ・・・・・・ってゆうか受けないと死ぬ。だいたい、この時期になって協力の申し出だなんて端役に決まってるよぅ。メインキャストなんてあたしたちをつるための疑似餌だよ。むしろ擬似本番だよ。村人1とか役人aとか、場合によっては木だよ、木! だいじょうぶでしょ」
「そ、そうか。そうだな! 木なら私にもできそうだ。実は小学校の学芸会で眠り姫を割り当てられたことがあるのだが、うまく演じられなくて路傍の石に変更になったんだ。石とか木なら任せてくれ! どんな無茶な体勢でも上演時間の間、演じきってみせる!!」
「眠り姫が演じられないって、どうゆうことなの。あれ寝てるだけでしょう」
「難しいんだよ! 衣装も嫌なんだよ!ひらひらしたの! そういうお前はどうなんだ。経験あるのか?」
「あたし? あたしはばっちりてっちりとばっちりだよぅ。ラプンツェルとヘレン・ケラーを演ったことがあるもの」
「いまひとつ、脈絡がない配役だな」
「ラプンツェルを演じるにあたって、原典通りに夜の歌を喘いでみたらさ」
「なんだって?」
「東京戦区の教育委員会にR18指定されちゃって」
「小学校の学芸会をか!? R18指定の前に、開催を中止しろよ教委!」
「で、学芸会は隔年開催だったんだけど」
「次がヘレン・ケラーか?」
「そう。絶対喘ぎ声出せない設定で」
「そんな拘束条件かけるより、私ならお前を主役から外す方を選ぶがな」
 そこが人徳ってもんよぅ。生物準備室に安置された愛玩人形は、本日ことに美しく、ことに頭が弱そうに見えた。
「手話で喘いで見せたしね」 残念さに輪がかかる。
 そのとき、埃をはらんだ部室の空気が揺らぎ、時雨にも舞風にも朧な輪がかかる。
「ありゃ? なんだこれ?」
「なっ、なんだ芙美! その声!?」
 うへへへへうききっ、と笑う時雨の声も変だ。
「なになになになに? あれれ? ちょっとやだぁなによこれもぅ」
「や、やめてくれ、こっ、声変わり前の声じゃないか、まるで」
 えっ、黎ちゃんって声変わりしてるの、それマジやばくない? 一度女性ホルモン検査を・・・・・・
「おい・・・・・・」
「「ひいいっ」」
「存分にじゃれたか?」
「う、うん! あたしもう思い残すことないよ!」
「わ、私もだ。い、いつ戦死してもいい心構えはできている」
「そうか。では本題に入っていいか?」
 近ごろ話題の自律駆動型高速オナホール、ディープスロート・マキシマムもかくや、という速度でふたりはぶんぶんと首肯した。
 決壊直前の貯水池のような色をなした会計係の手には、ヘリウムガスをチャージした対防弾隔壁用のインジェクションキットが握られ、今しがたヘリウムガスを手盛り八杯に被曝させた二人を睥睨していた。彼女らの首肯を見て、その目に満悦が宿る。
「そうですか! 先輩と芙美ちゃんが快く参加してくれて本当に嬉しいです!! 一緒に演劇やりましょう!」
 しかし急速に形作られた満面の笑みには、拭いきれない険を残す。
「え、笑顔が戻ったよぅ」
「こ、これはこれで怖いな」
 三国無双の戦女神と天衣無縫の愛玩人形がぽそぽそとやり取りする。
 見る影もない。
「佐藤さん! それで、わたしたちはどんな役をやるのでしょう?」
 会計係は、下手くそなモデラーが盛ったパテに似た笑顔を貼り付けたまま、錬金術師を振り返る。
 佐藤はそのとき、実に気の毒そうな顔をしたが、すぐにお気の毒な状況に陥るのは自分であることに気づき、恐怖と粗略と後憂がごった煮の妙なゆがんだ様子になった。
「え、えーと」
 危険の予兆を捉えたリスの足取りで、さらに四歩退く。
「実は演劇部の部長さんから、もう配役リストをいただいていますの」
「えっ! もうですか!うれしいっ!! わたし、オスカルもアンドレもアントワネットも、いっそギーシュ公爵だってセリフ入ってますっ! 演劇部のオリキャラでも、一晩で入れてきます! わたし、セリフ覚えるの得意なんです!」
「そ、そうなんですの。え、えーと、えーと。演劇部の部長さんによればですね
 佐藤は配役を誰が決めたのかを強調した。
「時雨さんにアンデレを演じて欲しいそうですの」
「あ、あたしがかっ!? そんな、じゅ、準主役じゃないか。できないよぉ」
 うろたえた部長が微妙に1人称を間違える。
「へ―――――――――。よかったじゃないですか先輩」
 シベリアの荒野を上回る平坦な口調で、会計係が祝福する。
「まさか、断ったりしませんよね。こんないいお話」
 スリーマイル島の2号炉を超える青みがかった白目で、会計係が確認する。
「・・・・・・うん。あたし、やるよ」
 戦女神が屈服した。長いものに巻かれた。
 うふふ。アンデレが決まったわ。すごいわねぇ、準主役を委託されるなんて。オスカルは誰かしら。
「つ、続いては・・・・・・」
 錬金術師の声が割れる。
「オスカルが委託されていますの」
「まぁ! まあまあまあ!! すごいじゃないですかうちの部はっ!! プロパーの演劇部員を差し置いてトップ2人を任されましたよ! あらあら、どうしましょう!!」
 会計係が舞い上がる。
 錬金術師は重力の底へ墜ちていく。
「ま、舞風さんに演じて欲しいそうですの」
「え、え、え、え、え。わたしっ!!?」
 無垢な愛玩人形も、突然の震災に遭遇した旅行者のようにうろたえ、細かく1人称を間違えた。
「お、オスカルなんてできないよ! だって男装の麗人でしょう!? わたしにそんな男気はないって! む、むしろ唯ちゃんなんかどうだろう? とっても凛々しくて、フランス軍の軍服が映えると思うなっ!! ねっ、ね、ねっ! 黎ちゃん!?」
 舞風は魔女裁判にかけられた無失の少女のように、周囲をぐるぐると見回したが誰も救いの手を差し伸べる者はいなかった。
「舞風さん」
「ひ、ひいぃ。ゆ、唯ちゃん声が平坦でこわいよぅおぅぉぅ」
「平坦? わたしの胸のことですか?」
「ゆ、ゆってないゆってない結ってないし揺ってもない。ご、ご、ご、誤解だよぅ許してよぅ」
「わたしはそんな情けやお零れで役なんかもらっちゃいけないと思うんですよ。選ばれて選ばれた人たちは、その責任と栄光を担うべきなんですよ」
「ほ、ほんとにそうだねっっっ!! わ、わたしこの役に全力を傾けるよっ! 人生の金字塔にするよっ! この栄光と光栄を末代まで語り継ぐよ!」
「ええそうしてください。佐藤さん」
「は、はいっ!」
 会計係の瞳の井戸は、青眼と呼ばれる水準まで深くなり、
 錬金術師の憂色は、計測困難な彩度まで深くなった。
「主役を2人もあてていただいて、ありがとうございます。そろそろ、わたしの仕事を伺ってもよろしいですか?」
「え、ええ! え、演劇部の部長さんによりますと!」
「部長さんによると?」
「す、涼波さんには」
「わたしには?」
 佐藤の手は、自分の死刑執行書にサインをしなければならない法務相のごとくわなないた。
「フロア・ディレクターをお願いしたいそうですの」
 錬金術師と呼ばれる女は、刺激を受けたお辞儀草の勢いで首をすくめる。
 落雷を待つアルミニウムのように、無防備に。
 交叉させた肘の間から、様子のおかしい会計係を伺う。
 会計係は、
 レイプされたあとに記念写真を撮られたお嬢様の表情で薄く惚けていた。
 あふろでぃれくたー?
 ああ。ふろあでぃれくたーですね。
 それって、ADってやつですよね。
 演劇業界のヒエラルキーの最下層の。
 天界で言えば使役天使?
 いや、わたしは使役天使ですらない。使役天使に寄生した蟯虫にへばりついたミトコンドリアだ。
 うふふ。そうですよね。
 だってわたしは胸がないもの。
 舞台に立ったって、どうせ映えないですよね。
 ひょっとしたら、セリフの付く役がもらえるかもなんて、甘い夢を見ちゃいました。
 わたしには夢を見る資格なんてありませんよね。
 思想信仰の自由?
 幸福追求権?
 ええ、日本国には基本的人権がありますとも。
 ただし、美少女に限る。
 ただし、微処女に限る?
 ただし、美乳に限る。
 ほほぅ。そうですか。いろいろハードルがあるんですね。
 わたし、ハードル走は得意なんですよ。胸が揺れないから。
 うふふ。
 いつか・・・・・・。
 いつかままならないセカイにふくちゅうちてやるうぅぅうううぅうぅぅおおぅおぅぅう!!!!!!

「な、泣いてますよ。泣いてますよおたくの会計係が」
「凪の笑顔で、ほろほろと落涙しているよぅ」
「しっ、死顔みたいでこわい。おい、芙美なんとかしろ」
「れ、黎ちゃんこそ部長でしょう」
「そんなこと言ったって、佐藤、佐藤」
「なっ、なんですの。わたくしに責任を押しつけないでくださいなっ」
「何か役あげられないのぅ?」
「そう言われましても・・・・・・」
 そのとき、喜怒哀楽を超越するヒトの五つ目の感情を具現した会計係がゆらりと立ち上がる。
「「「ひいいいいっ!!!」」」
 正気と分別を保つ3人が兎の速度で背進する。
「みなさん、そんなにお気遣いなく。わたし、分相応な役目を仰せつかって大変光栄です。舞台の成功のためにせいいっぱい努めさせていただきます」
「う、うん。唯ちゃんならきっと十二分に十全だよ!」
「おっ、おお。唯はまさにフロア・ディレクターを任じるためにこの世に生を受けたんだ!」
 こぉの戦争馬鹿っ!!!
 舞風と佐藤がメデューサも裸足で、むしろ全裸で逃げ出すような視線で狂戦士を捻り上げる。
 時雨も自分の失言に気づいたが、時既に遅し。
「わたし、自分の役割が分かってるんです。ええ。わかってますとも。当日は完璧以上の真秀なADを演じてみせます。まかせてください」
 百鬼夜行のような片笑みが、四百五病の片笑みにかわる寸前で、
 貧乳の会計係は生物準備室を出て行った。
 残された3人は・・・・・・、
 魂が尽きたように、その場にくずおれた。

「わたしの屍を超えていけ。
 わたしの血で、紅に染まっていけっ!!」
 金髪の愛玩人形が謳い上げる。
「愛を裏切ることよりも、愛に気づかぬ方が、もっと罪深い」
 男装した戦女神が臍をかむ。
 そのたびに、満場の観客と演劇部員たちから恍惚のカンタビレが漏れる。
 わたしはカンペを掲げ続ける。

 わたしは、戦争部の主役就任はうまくいかないのではないかと考えていた。
 だって、主役だよ?
 演劇部に入ったら、誰だって張りたいでしょう。
 それを他部、しかもよりによって戦争部に投げるなんて、どうかしている。
 内乱を予感した。
 きっと演劇部の実力者や演劇部の顧問が枕営業で袖の下で鼻薬で毒まんじゅうであれやこれやなのだ。
 それで、しがらみがなくって強そうな戦争部にお座敷が。
 なぁんだ。
 それだったら、練習に入ってからだって一悶着ある。
 戦争部は悶着を解決するのが本分だ。
 解決して見せよう。
 戦争部らしいやり方で。
 どさくさに紛れて・・・・・・いやいや、戦時特別措置で何かわたしが役をもらってもいい。
 セリフのある役を。
 そう考え、演劇部内でどのような人間関係が展開されていようとも完全対応できるよう、読み込んで行った。
 クラウゼヴィッツを。
 ハードカバーが刷りきれるまで。
 ところが、
 練習初日、わたしたちを出迎えた演劇部の部長は、
 地味で清潔感がなく、
 ほつれたぱさぱさ髪を適当に結わえ、
 丸い鼻にはそばかすが浮かび、
 目はどろんとマリモのよう。
 そんな演劇部の部長は、
 ただの百合だった。

「はじめまして! 夕張球磨ですっ!! ああ、令名轟く戦争部のみなさんをお迎えできて嬉しいわっ!」
「ゆ、夕張さん・・・・・・か。よろしくたのむ。お、折れないように気をつけてな」
 帝国海軍マニアが余計なことをいうのにも構わず、夕張さんは先輩の手をねっとりととり長い握手をする。
 先輩の柳眉が曇り始める絶妙のタイミングで、同じ握手を芙美ちゃんにも差し出す。変態は基本的に女の子は目に入らないので、手を握られながらもそれを認識しているのかさえ危うい。
「とても戦場に出る方の手とは思えませんわ。しっとりとしなやかで、じゅるる」
「じゅるる?」
「いえ。なんでもありません。演劇部一同、みなさんと舞台に立てることを楽しみにしておりました。合宿や後夜祭や衣装早替えがそれはそれは楽しみです、じゅるるるる」
「部長、部長。思念が漏れてます」
 瓶底のような眼鏡をした三つ編みの女の子が、夕張さんに注進する。
 黎先輩は釈然としない顔をしながらも、他の部員から台本を受け取っている。
 芙美ちゃんは、ロッカーに画鋲をまいたり、台本に血糊をつけたり・・・・・・そういう男子部員はご所属かしら? と質問して、誰からの回答も得られずにいた。

 間違いない。  こいつら百合だ。GLだ。スカタチだ。ズボネコだ。
 平時協力とか、部員が足りないとか、この前の借りとか、
 詭弁を弄して単に先輩と芙美ちゃんを弄りたいだけだ。
 先輩は気づいてない。
 芙美ちゃんは女には興味がない。
 なんだかもう、この状況で先輩たちを救えるのは、わたしだけだ。
 こんなとき――――――。

 助けてやる必要がどこにある?

 演劇部の練習は、上げ膳据え膳で。
 むしろ先輩たちが据え膳で。
 至れり尽くせりで、遺漏なく進んでいった。
 だって上手いんだ。芙美ちゃん。
 ちょっと時代考証を間違えたナポレオン時代の深紅の軍服。
 どこのコスプレ風俗か、と問いただしたくなるぼんくら加減なのだが、
 芙美ちゃんが着こなすと、可憐を儚さで塗り固めて玉潤で潤したような姿になるのだ。
 ふるえるチェレスタに似た声でセリフをころがすと、演劇部員たちから五色の息が漏れた。
 一方、戦争狂は。
 濃紺の馬上服という、実に巫山戯た格好なのだが、
 長身白皙の先輩が袖を通すと、
 凛々しさを蒸留して荘厳さで圧縮し、神彩で蹴り飛ばしたような威風になる。
 眉間に寄せた憂愁に、演劇部の1年生の体温が上がる。
   ――――演技を嫌がってるだけだと思うけどね。
 熟練の挙措で指揮杖を振りかざすと、演劇部員たちの湿度が上がる。
   ――――つーん。ふだんの先輩たちを知らないくせに。
 やはり先輩は芝居にいろいろ難があるようで、休憩のたびに夕張さんが手や足や腰や髪を取って懇切丁寧に指姦・・・・・・指導していた。あまりにあからさまで指摘する気もおきない。教導の名の下に舞台がおさわりガールズバー化している。
 はっきりしていることは一つ。
 彼女らの心にも舞台上にも、わたしの居所はない。

「黎ちゃん、黎っ!」
 絢爛豪華に趣味露悪な深紅の軍服を着こなした舞風が、従卒を演じる戦争狂に落とした声で密語する。
「ひどい格好だな、芙美」
 たしかに、こんな格好をするのはオスカルか赤い人か風俗嬢だけだろう。
「人のこと言えるのぉ?」
 返された声に戦争狂は不本意な影を口の端に落とす。
 一番槍が本懐の前線指揮官は、勲章略章が過剰搭載された式服が気に入らないのだ。
「・・・・・・少なくとも、お前よりはマシだろう」
「何を低次元で五十歩百歩しているのですの」
 あんたもきたのか。
 きちゃ悪いのか。
 悪い。お前のせいで変なことになってるのよぅ、責任を自覚しろ。
「変なこととはあれか」
 3人はシンクロ接続されたクリスマスオーナメントのように、完璧な同期で振り返った。
 視線の先には、戦争部の会計係がいる。
 会計係は、地に這いつくばってカンペを作っている。
 汚れてもいいように、第二種セーラー服だ。
 3人の視線にご愁傷様な色が混じる。
 慣れない作業で、演劇部員に仕上がりを注意される。
 マクドナルドのクルーが「スマイル」とオーダーされたときの空気を、顔面表情筋の表層1ミリに貼り付けて、作り直しに応じる。
 3人は視線をそっとそらす。
「唯ちゃん、固まってるよ」
「鰹節の削りだしみたいな薄っぺらい笑顔でカンペつくってますの」
「このままでは貴重な新入部員が潰されてしまう」
 あら、あたしの心配は? あたしだって貴重で几帳面な新入部員でしょぅ?
 貴重というより吃驚(きっきょう)な新入部員だろうお前は。森教諭のことしか頭になかったくせに。
「あっ。オスカルの衣装棚を見て拳を握りしめてますよ。唇も噛んでますよ」
「ひいいぃいぃぃっっ。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ」
 脱線しかけた戦争部に、錬金術師が冷や水を浴びせる。
 呪詛の対象にされた変態は、お百度を踏むように身を禊ぐ。
「本格的に対策が要りそうだな」
 戦争部部長が、勲章の重さに辟易しながら天を仰ぐと、
「それなら、わたくしに腹案がありますの」
 錬金術師が投機を持ちかける高利貸の声色で、胸に手を当てた。

 演劇部員たちの語るところでは、
 どうも舞台がハネたあとの飲み会で、先輩と芙美ちゃんを酔い潰すことを目論んでいるようだった。
 風紀紊乱な戦争部員も、潰してしまえば手中に落ちる。
 そこでもっと紊乱を加速させればいいのだ。星々の涯てへ向けて。
 コスプレのネタだって、掃いて捨てて売るほどある。
 なんせ演劇部だ。
 なんでわたしがそんな機密事項を知っているのか。
 ノーマークだからだ。
 The King of King of 黒子。
 黒子の中の黒子。黒子の王。黒子班長。黒子教皇。
 たとえオスカルの頭を蹴り飛ばしたところで、観客はわたしに気づかないだろう。
 演劇部員は、戦争部お断りの黒い計画を、
 わたしの目の前ではよくしゃべった。
 おいおい、いいのか。
 いいんだろう。
 だって、わたしのことは眼中にない。索敵圏外。ステルスだ。
 なんだ。
 わたしの人生そのものじゃないか。
 人知れず、黒子が人に見えない涙を流したところで、
「涼波さん。こっちのカンペも作っておいてちょうだい」
 お声がかかる。
 わたしという存在は不可知でも。
 わたしの業務という属性は、人からやたらとよく見えるのだ。
 くそぉ。わたしは無体な辞令を告げた演劇部員をにらみ返す。

 巨乳だった。

 ・・・・・・・・・・・・滂沱。
 ぐしぐしと視界が歪み、
 安っぽいリノリウム床に残念な鼻水を潅いだところで、
「涼波さん、大丈夫ですの?」
 佐藤さんがあらわれた。
 佐藤さんは、ほくほくと湯気をけたてるさつまいもを持ってきた。
 佐藤さん、これが好きなんだよね。
 わたし、正直あんまり好きじゃないし。いい趣味だとも思ってないんだけど。
「あ、あぢがどおぉぉ、佐藤さんっ!!」
「り、利奈なんですけれども・・・・・・、まあいいですわ。あの・・・・・・、配役のことは残念でしたけれども、えーと、いい経験というか、きっと涼波さんの今後の糧になりますわ」
「らめぇ。佐藤さんやさしいこといわないでください。むしろやらしいことゆってください。いまわらし泣いちゃいそうなんでつぅ」
「後者はおたくの通信兵さんに頼んでください。まったくもう。ほら、・・・・・・鼻をふいてくださいな。わたくしは金融の世界しか知りませんけれども、いい言葉がありますわ」
「いい言葉・・・・・・?」
「ええ。いいことあったら倍返し、やなことあったら百倍返し・・・・・・わたくし、辛いことがあるとこの言葉を・・・・・・」
「いいことあったら倍返し、やなことあったら百倍返し!? そ、それは佐藤さん・・・・・・」
 それは至言ですね。
 人生の基本ですね。
 わたしは目からだけでなく、体中から鱗が落ちる音を聞いた。かりんかりんと安物のリノリウムにはじけて消える。豁然大悟、円実頓悟。わたしは自分の盲を知った。
「わかりましたっ!! わたし、悟りましたっ!!! こんなところで落ち込んでいた自分が恥ずかしいですっ! そうですよね。やなことあったら百倍返しです!! 返すぞ~~ 百倍にして!! 佐藤さん、ありがとうございます!」
「えっ☆ 涼波さん。えっ、えっ?? あの、涼波さん・・・・・・」
「ぷふふ。このくそったれ百合劇は、演劇部の手によるほぼオリジナル。いろんなものが混じった闇鍋みたいなセリフ回し。誰もカンペなしでは完読できない・・・・・・。そしてわたしは、カンペを操る黒子長。うふふ、ふひひっ」
 まさかとは思いますけど、百倍返しって復讐するって意味ではございませんのよ、と空疎な念を押したときには、
 栗毛の会計係は佐藤の視界から消え、
 放り出されたさつまいもだけが、湯気を立てていた。

「に、人間であればこそ・・・・・・そんな愛も・・・・・・」
 処女の清潔さで愛玩人形が頬を染める。
 濡れた瞳を金糸を思わせる紅茶髪が隠し、
 花開く直前の水蜜に似た口唇がふるえる。
「このショコラが熱くなかったのをさいわいに思え!!」
 半神めいた造作の戦争部部長が黒髪をそよがせ、
 薄灰色の視線で観客を射貫き、
 しなやかな動作で、指揮杖を天にかざす。
 言ってることの意味は不明だが、絶好調だ。
 絶頂のボルテージへ向けて、演者も観客も加速する。
 狂熱は約束されていた。
 次が演劇部渾身の決め台詞。すべての人民に自由を。
 わたしは、
 わたしは、睦言を続ける戦争狂と変態に向けて、最後のカンペを天高く掲げる。
 黎先輩は横目でカンペを確認すると、一瞬逡巡したあと・・・・・・。
 雀躍で身体を跳けさせた。

「だめだオスカル! 私は・・・私はもう我慢できない。
すべての兵器を使用自由にっ!!!All weapons free
 黒髪の狂人が虚空に吠える。
「ああ、アンドレ!すべての生理用吸湿棒を使用自由に!!???All tampons free
 金髪の変態が天空へ駆け上がる。

 何あれ? 演出? ってゆーかタンポンって何だよ。ばかウエポンだよ。 ウエポン? そういえばこいつらって・・・・・・。
 腐った心根と澄みわたる見てくれには何らの相関もなく、むしろ相姦であると高らかに実証した出演者たち。その天上の美貌に酔いしれていた観衆の体温は、陶然から騒然、そして愕然へと急降下した。
 害なす天啓の的中率は常にフルスケールで。
 時雨は、重そうに見えた過剰装飾の軍服から、ナポレオン時代のマスケットを手繰り出すと躊躇なくぶっぱなした。
 弾丸はドリアンの削り出しだ。
 先込め銃だから何でもありとは言え、
 これはひどい。
 シュールストレミングと並び立つ、
 世界最凶の悪臭元は、
 銃身のライフリングで強烈なコークスクリューを与えられ、
 左巻きな高速回転で夕張球磨の右頬に炸裂した。
 回転する弾頭は硫黄化合物を撒き散らしながら、
 情欲に濡れた目で時雨を見つめていた演劇部部長の頤に、生涯消えない臭腐を叩き込んだ。そのこうべが軽巡夕張と同じ角度で折れる。
「腐――――――――――――――――――――――――――――――――っ!」
 後夜祭で満たされるはずだった濡れ仏は、情炎の対象によってただの仏にされた。
 音速の給弾で連射されるドリアンは暗転した舞台を燻り満たし、恍惚に蕩ける潮吹貝のごとくプロパンチオールとアルデヒドを奔出する。
 腺病質なメイクを施し、徴税官の衣装を身に纏った夕張は、史実の通り断末魔の胸部痙攣を演じる羽目になった。

 観客席も含めた小豆ホールは、絶望的なまでに汚染された。
 糜爛する汚染物質の海に、体重がないかのように軽やかに浮かんだ碧眼の熾天使は、その天意のままに生理用吸湿棒を旧世界の呪縛から解き放つ異次元のレッセ・フェール。
 背中に生う熾天の羽根と同じだけ、
 6本のタンポンを淫靡な荒縄で自在に操るその姿は、
 ゼロ・サイコミュの見た夢のようだった。
 臭気計測計が振り切れる、器機殺し。
 濃厚なシュールストレミングの硫化水素を、
 危険水域まで染みこませたタンポンは、
 針穴を穿つ精度でルイ16世の口腔を直撃した。
「!!」
 ルイ16世は込み上げる胃酸と矜持の間で一瞬の綱渡りを演じたが、
 驕慢なプロピオン酸に膝を屈し、消化器の内容物をぶちまけようとした。
 だが、
 その口腔は生理用吸湿棒で栓されて、逆流した胃液と涙とシュールストレミングが気道を肺を駆け巡った。
 声にならない絶叫を遺し、
 ルイ16世は民衆の目の前でお隠れ遊ばした。

 マリー・アントワネットは、6本のタンポンによるオールレンジ攻撃を避けた。
 さすがはデュ・バリー夫人、アデライード王女ら並み居る政敵を退け魑魅魍魎の宮廷世界を泳ぎ切った女である。ある種のニュータイプと言えなくもない。
 しかし、ヴェルサイユ宮における最後がそうであったように、外的な攻撃は避けきったものの、内的な攻撃に対して脇が甘かった。
 王妃の防御力が意外に高いと見た変態は、自らの攻撃子機(タンポン)ではなく、王妃の生理用吸湿棒(タンポン)に狙いを更新した。
 伸ばされる6本の火線に気を取られたブルボン朝最後の王妃は、
 死角から切り込んだ繊手によって、自身の吸湿棒を握り込まれる。
 二日目だった王妃はレオポルト2世に救援を求めるが、
 無慈悲なオスカルは鼻で笑うと右腕を一閃させる。
 女の体からタンポンという名の制御棒が溶け落ち、
 泥血のメルトダウンが迸る。
 王妃は群雄が割拠するコンコルド広場で露と消えるかわりに、
 露を散らして悶絶召された。

 ひゃっほぅ! 王妃を墜としたよぅ!!
 でかした芙美! 首級だな!
 それより、唯ちゃんはどこだろう?
 人生初の勝ち戦を妙な場所で実現しつつある戦争狂と変態が、
 会計係の安否を気遣う。
「舞台袖でカンペを掲げていたが・・・・・・」
「ちょっとは元気になったかな?」
「だいぶ景気づけしてやったからな」
「黎ちゃんのあれは、単に私怨でしょう」
「あの夕張とかいう雌狸め、浅草ロック座に物見遊山した外様大名みたいな目で私を窃視しやがって」
 戦女神はとうの昔に切断された堪忍袋を劇薬で満たして、雌狸の鼻面で爆散させたのだ。
「お前だってはしゃいでたじゃないか」
「他の子たちもひどかったんだよぅ。ルイ16世は不能だし、アントワネットはパンがないから菓子を食べろって五月蠅いし。あたし、ブリオッシュって嫌いなんだよぅ」
「それはただの逆恨みじゃないのか?」
 有翼神は制圧した戦場を視察する高級将校の仕草で。
 と、足下に感触がある。
「ああ、こんなところに夕張が沈んでる。艦首の強度が足りなかったな」
「そういえば、この子なんの役だったのぅ? 部長の割に地味な衣装だね」
「そういえばそうだな。・・・・・・うーん、腺病質なメイクだな」
「徴税吏みたいな表情だねえ」
「プロイセン王国の軍服を着ているぞ・・・・・・」
「・・・・・・少しゲイっぽいねぇ」
「ちょっと待て。これ、フランス革命の話だったか?」
「そりゃあ、オスカルとアンドレだからね」
「「・・・・・・」」
 二人は他の可能性を探して思案に沈む。
 他はあらわれなかった。
「・・・・・・これ、クラウゼヴィッツじゃないか?」
「あたしもなんとなくそう思うよぅ」
「我が師を殺してしまったぞ」
「それはまた斬新な死亡フラグだね」
「だ、だいじょうぶだろ。まだ回収してない伏線とかあるし」
「またメタな話を・・・・・・。でも」
「で、でも・・・・・・?」
「打ち切りだったら、さにあらず」
「え゛っ」
 狼狽えた時雨は周囲を見渡した。
 錬金術師の走っていく背中が見えた。唯は舞台から落ちて失神している。
「し、しかし、もう敵はいないぞ。いったい誰が私たちを死に至らしめるというんだ」
「黎ちゃん、シュールストレミング使ったでしょ」
「・・・・・・うん、ってそれはお前だ!!」
「あの悪臭の根源は硫化水素」
「硫化水素は可燃性」
「小豆ホールは高気密性が売りの新築建屋」
 黒髪と金髪は顔を見合わせた。

 駆け去る錬金術師の背後から、
 ちゅどーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!
 という爆音と、
 猛烈な悪臭が追いかけてきた。
 錬金術師自慢の新築ホールは、
 汚泥と腐臭の底に沈んだ。

「佐藤相談役」
 瓶底のような眼鏡をした三つ編みの女子生徒が、圧倒的な資金力で生徒会を統べる小柄な幼女に注進した。生徒会のヒラ委員らしい。
「何かしら」
「あの・・・・・・、戦争部の扱いなんですが。生徒会議事録には何と記載しましょう」
 佐藤は汚塵に満ちたかつて小豆ホールだったものを見渡す。
 小豆ホールは硫化水素の引火で損壊。
 すべての建造物は臭素で穢された。
 現在は、落ちてきたシーリングの撤去作業が続いている。
 ぱらぱらと生存者が掘り出される。
 そんな様子を横目でながめて、
「しばらく休部にしておいてくださいな。MIA・・・・・・部員行方不明ですの」
 はい。と、従順なヒラ委員は点頭して、復旧作業本部が置かれた職員室へ小走りに去っていく。
 「軍の平時利用は鬼門」
 クラウゼヴィッツを読んでいる方たちでしたら、当然知悉している要目でしょうに。
 断れない話でもないのに、お人好しに受けてしまうあたりがあの方たちの脇の甘さなのですわ。
 脇の甘い戦争部が勝てるはずもございません。
 投資家であれば、一晩で尻の毛まで毟られましょう。
 ですから、同情する気は毫もないのですけれど、
 胸の中にある一抹の寂しさが拭いきれないのはなぜでしょう。
 そう考えついて、自分を嗤いました。
 そんなの、投資家が乱高下を好む生き物だからに決まっています。
 あの戦争部がいないと、ずいぶん相場が落ち着きますわね。

 あら、そういえば。
 わたくしは心の中で思いました。
 舞風さんは、MIAは駄目な方でしたっけ。
 もしまたお目にかかる機会があれば、
 ミルクは先に挿れてあげましょう。

「・・・・・・って、奇麗にまとめてあげたのに、なーんでまだ生きてるんですの」
「あのくらいで死んでたら命がいくつあっても足りないよぅ」
「いえ、その発言は告死天使に喧嘩売ってますよ」
「日頃の行いがいいからねぇ」
「閻魔様にも喧嘩売ってますの」
「アントワネットの首飾りが盾になって助かりました」
 命拾いした安堵からか、会計係が大輪の笑顔を咲かせる。
「ずいぶんブルボン王朝を馬鹿にした話ですの・・・・・・ああ、涼波さん」
「はい?」
 わたくしは、部室へ戻ろうとした戦争部のメンバーのなかから、会計係を呼び止めました。
「アントワネットの首飾りにちなんで、500kgで結構ですわ」
「え? グラム? え?え? 何がですか??」
 このとき、こめかみに青筋をひくつかせる程度に表情の変化を抑えたわたくしの自制心を、誰か褒めてくださいまし。
「始・末・書・ですの☆」
「しまつしょ? う? 始末書!? それ、単位違いませんか!!!??」
「あなたがたはホールを一つつぶしましたわ」
「え、えーと? 記憶には・・・・・・ないんですが」
「部長さんと変態さんに是非よく伺ってくださいまし。そして、そのホールはわたくしが犬馬の労をとって完成させ、先日お披露目したばかりでしたの」
「そ、それは、その・・・・・・、よく存じております・・・・・・」
「だったら」
 わたくしは、自分の口角が鋭角につり上がるのを自覚しました。
「500kg程度の始末書で済んだのは、お友だちの証だって。そう気付いてくださいますわよね?」
 栗毛の会計係さんは、先ほどまで安堵を湛えていた瞳を絶望の色に染め上げ、わたくしを見上げてきます。ええ、そんな始末書、孫の代まで書き連ねても完成しませんとも。
 わたくしは勝利の美酒に酔いしれました。
 早晩、わたくしのコレクションに新たな一葉が加わることでしょう。
 わたくし、細身の女性も嫌いではありませんの。





脚注

熾天使
セラフィム。九階級に分かれる天使階位の序列1位。その翼は神と同じ12枚とも、6枚とも。この翼は顔を隠すことにも使われる。

夕張
帝国海軍の軽巡洋艦。3500t級。駆逐艦クラスの船体に大型軽巡級の武装を施した、帝国海軍の奇跡。あまりに詰め込みすぎて強度が不足、艦首を折ったことがある。

マスケット
先込め銃。魔法少女などが用いる。

プロパンチオール
硫黄化合物の一種。くさい。

アルデヒド
有機化合物の一種。におう。

プロピオン酸
脂肪酸の一種。いたい。

MIAは駄目
いや、むしろMIFが駄目。

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