日本は衰退した。
際限のない地方分権が行われた結果、政治的主権は市町村などの基礎的自治体へ移行したが、彼らは期待された調停能力を持たなかった。
「いっそシンプルに戦争でもやって、勝った方の意見を通すか」
「いやいやいや洒落にならん。形だけでも人命尊重しないと」
「高校の部活レベルなら、笑い話で済むかな」
知事会でやり取りされた低水準な冗談が一人歩きして実現し、各高等学校は戦争部を保持し、委託業務という名の戦争に身を投じることとなる。
C級街道絶賛驀進中の散花高校戦争部に誤って入部してしまった涼波唯は、卒業のその日まで自らの命脈を保つため、ナポレオン時代の伝説の戦略書『クラウゼヴィッツ』に手を出した・・・・・・。
2000年代に頻繁な政権交代がおこり、国策が迷走した日本は、それを糊塗するために地方分権を推進した。中央による地方への責任の丸投げ。それは過剰であり、異常であり、正しく移譲でもあった。結果として、地方自治体は米国の州ほどの自治権を手に入れた。
権力者の水準低下と腐敗は甚だしく、権力は国レベルでも、地方レベルでも既得権益の保護に一義的に行使された。この時代、能力の高い者、志のある者は、日本を去って海外へ流出している。したがって、今、国内に残っているのは二流以下の人材と組織であり、もちろんこの物語の登場人物たちも例外ではない。
近年、合衆国地質調査所の人文地図は、遂に日本を地図から除外した。載せる価値がなくなったからである。
これを受けた日本はどう対応したか。対応しなかった。むしろ、世界から忘れられたことに気づかなかった。世界を知らなかった。
際限なく内向きにエネルギーを使い、縮小するパイの最後の一切れにありつくことに汲々とした。
地方自治体は子どもの我が儘のような要求を繰り返すようになり、国家はそれを調停する能力をもはや持ち得ない。
当然、地方自治体同士の主張は平行線を辿り、結論は出ない。その落としどころは暴力によって探られる。この時代、日本は地方自治体を主体とした内戦状態にあったのである。
国が保有する固有戦力はこの武力行使に参加できない。論理面では憲法が、実務面ではコストが障壁となったからだ。武力行使は、高等学校の部活動~戦争部による戦争行為~を通じて行われる。それは、建前とコストと倫理の歪んだ婚姻が生み出した鬼子である。
教育委員会による学区は戦区へと改組され、教育委員会は戦争行為を監督運営する。地方自治体が戦争行為に踏み切る場合、教育委員会へ戦争委託を行う。ローテーションと実績にシャッフルを加味したアルゴリズムで、二つの高等学校が選抜され、学校教育法に定める課外活動たる戦争行為を行う。公的課外活動であるため、戦闘に参加した学生には、学校長が戦争証明書を発行し授業が免除となる。
実際には、教育委員会は対戦する高等学校を選抜する際に、恣意的な介入を行っていると考えられている。また、本来は第三者機関であるはずの独立行政法人戦争行為判定研究機構、戦争調停機構に多くのOBを送り込み、戦争行為に絶大な影響力を持つ。
形式的に、対立所掌官庁として総務省の戦争委員会が立てられ、戦闘行為を行う戦域の指定権を保有、管轄しているが、実態として教育委員会の強権に対峙しうるものではない。
この体制を維持するために、学校教育法三条規程は改正され、すべての高等学校は戦争部を設置することが義務化された。学校に対する補助金がゼロに近似する状況下で、戦争行為への参加によって得られる戦争行動委託金を無視できる高等学校はほぼ無く、各学校の自治は無効化され、教育委員会の横暴が罷り通る強固な体制が構築された。
教育委員会は、全国の高校を北北海道戦区、南北海道戦区、東東北戦区、西東北戦区、環状関東戦区、東京戦区、東海戦区、日本海戦区、上関西戦区、下関西戦区、島根戦区、四国戦区、九州・沖縄戦区の13の戦区に分ける。
区分けに際して、特段の思想教条があったとは、記されていない。その境界条件は概ね、調停案件数/高校数比と戦区が設定される地形に因るが、時にはあまりにも強い戦争部、著しく弱い戦争部が現れ、その戦区の生存比率を崩すこともある。